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[11月11日#1] 人生で力みを矯正する方法は? [脳の仕組み]

[11月11日#1] 人生で力みを矯正する方法は?

スポーツと音楽と英語それに一寸した研究が彩りを添えた人生がそろそろ終焉を迎える。
自然科学の基本である物理と数学の柱に支えられた脳の仕組みの研究もほぼ終了した。
もがき苦しんで得た発見は、本人は元より、人類にとって財産の筈だが、到底喜べない。

生あるものは全て死ぬ。高齢になると痴呆症が待っている。脳の機能が衰える。宿命だ。
脳科学の分野は生物学や遺伝学、医学から心理学、細胞工学等と領域は多岐に広がる。
夫々に学会と組織があり、偽の報告が山ほどある中で新しい発見の真偽が吟味される。

しかしどの大学も理系と文系に分離されたままで、伝統と云う意識を捨て切れないでいる。
痴呆症を認知症とした精神科学会のアホさに呆れるが、なぜ認知障害としなかったのか?
睡眠障害を睡眠症、視覚障害を視覚症、健康障害なら健康症なのか?自己批判能力なし。

我々の行動と思考は本能によって左右される。行動も思考も同じ脳の活動だから当然だ。
現代社会は組織に属するかしないかが重要な生き方だが、これも本能に基いた選択だ。
しかも自分自身の選択だと考えない。知らず知らずの内に組織の一員になっているのだ。

国家がそうだ。家庭もそうだ。社会は大勢の人間がいるが幼児期の教育は躾から始まる。
母親の教育は命令だ。赤ちゃんは母親の支配下で成長する。成長すると反抗期が訪れる。
生きものである限り、省エネルギーの原則で怠けたい。自分の本能による欲求が教える。

無知な母親は躾が出来ない。これが将来、当人ばかりか自分らに跳ね返って来るのだ。
組織には上下関係が出来る。上司は部下に威張る。知らない新入りには教育が必要だ。
教育には威張る要素が必要なのだ。これが新発見だ。教えられる側は威張られてしまう。

もしも教師が能無しだったら?コンプレックスに責められ取り繕う。それが威張る理由だ。
私自身にも思い当たる。威厳ばかり気にする教師だらけだ。思い返せば私自身もそうだ。
威張る人間がいると闘争本能が反発心を呼び覚ます。これが人生で力みを生む原因だ。

そこに思い到ることで自分を見直す。もう威張る必要はない。威張らせればよいだけだ。
降りかかる火の粉は払わねばならぬが、本当の敵にだけ闘争心を湧かす余力を残そう。

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