[08月03日] なぜバッハはかくも魂を揺さぶるのか [音楽と感動]
[08月03日] なぜバッハはかくも魂を揺さぶるのか
http://www.nicovideo.jp/watch/sm7701311
J.S.バッハ作曲の無伴奏ヴァイオリンのためのパルティータを聴いて回想する。
学生の時に初めて上野の文化会館に行き、ヘンリクシェリングの演奏を聴いた。
それから50年余りの間にグリュミヨー、パールマン、ベンゲーロフ等を聴いた。
最近はヒラリーハーンをよく聴く。演奏家毎に楽器も異なるし弾き方も異なる。
それでも誰が弾いてもいい。聴き惚れる。以前ほどは比較しないようになった。
バッハがそこにいる。この小さな楽器が響かせる楽音の大きな世界にいるのだ。
自身の出す音とホールの残響が和音を作り多彩なオーラを発する秘密に憧れた。
純正調の和音の心地よさは重音の弓が作り出すアクセントの力強さと対照的だ。
完全五度で調弦された4本の弦と1本の弓だけ、それに左手の指も4本だけだ。
それなのに絹漉し豆腐の滑らかさから輝くダイヤの硬さまで広い表現力がある。
太い丸太の低音から細い髪の毛の高音が重なると見えて、時折り顔を覗かせる。
音の空間構成は耳に響く有限の3次元空間を超えて無限の広がりを想像させる。
耳から入って来るだけの音に聴覚は無限の空間を作り出す。神の成せる御業だ。
折しもオリンピックを観戦しながらDNAプログラムの欠陥について書いている。
全ての生きものは神(=自然)の産物だ。神が創りだした作品が不完全なのだ。
エネルギーの悪魔の顔の核兵器は科学者が持てる英知を全て傾けて創り出した。
核の平和利用は一見すると神の顔だが経団連と保安院官僚は化けの顔を剥いだ。
神も悪魔もエネルギーなのだ。心の中にいるのは正義にも邪心にもなる本能だ。
その心を映し出すのが階層構造をした組織社会のコミュニケーションなのだよ。
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