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[01月17日#1] ヴァイオリン演奏会から教師の役割を考える [音楽と感動]

[01月17日#1] ヴァイオリン演奏会から教師の役割を考える

幸運なことにパガニーニの24のカプリス全曲演奏に巡り会えた。宗次ホールがほぼ満席。
アドリアン・ユストゥス。メキシコの新鋭。師匠の黒沼ユリ子さんが見守る中で演奏開始。
英語で紹介しながら演奏するので1曲ずつ雰囲気がほぐれて行く。順不同だが新鮮に響く。

この曲は余りにも有名だ。パガニーニ以降の主な作曲家が強い影響を受けて名曲を作った。
中でもリストの超絶大練習曲やラフマニノフのパガニーニの主題による狂詩曲は魅力的だ。
パガニーニが奇術師のような風采で聴衆を魅了した風景を想像させ乍ら次第に盛り上がる。

はっと我に返る。超絶技巧なのに難しいと思わないのだ。眠りを誘うように音が心地よい。
最初は多少の偏見があった。しかしトークから人柄が分かる。音楽を楽しんで弾いている。
休憩時間に黒沼さんと話した。どうも教師の音楽に対する考え方が弟子に影響するようだ。

日本は激しい競争社会だ。音楽学校も沢山あり質も違う。有名になれば投資の元が取れる。
しかしその道のりは険しく成功するのはほんの一握りだけで音楽を楽しむどころではない。
最後に近づくにつれ熱演と分かる。5分休ませてとステージから消えても余韻が消えない。

曲ごとに拍手が大きくなり、前述した最も有名な曲で最後を締めくくると満場の大喝采だ。
だがふとこの演奏はまだ熟していないような感覚に襲われた。リストの作品の聴き過ぎだ。
昨年はリストの年で超絶技巧大練習曲を聴いて以来、様々なピアノ演奏を聴き比べている。

それを踏まえてヴァイオリン演奏を聴く。奇術師特有の超難曲の奇抜さが通用しないのだ。
なんと音楽評論家の積もりで批評しようとする自分を発見する。脳の自己認識の仕組みだ。
若い演奏家が聴衆を楽しませようと超難曲を必死で熱演する。自分はその聴衆の中の一人。

グァルネリの音色は次のドビュッシーのソナタで一層艶やかに響いた。正に印象派の作品。
聴衆の大拍手に応えて大曲の後にも関わらずサラサーテ他2曲のアンコールの大サービス。
最後の曲はメキシコの音楽を自らフィーチャーした陽気なリズムの曲だ。飾らない演奏だ。

弟子を養成するのが教師の役目だ。知らないと気が付かない。知らないことを教えられる。
そして弟子が成長して独り立ちして行く。弟子の背景は個人毎に異なりそれが個性となる。
教師が知らないことがあると教えられない。だがいい教師は対処の仕方を教えられるのだ。

悪い教師は知らないために威張る。いい教師は聴衆との対話を通して学べると教えるのだ。
芸術は繊細で微妙なコミュニケーションを通して感動を共感させる。この知識が不可欠だ。

タグ:芸術 指導 個性
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prohitskh

リストの超絶技巧大練習曲のピアノ譜面は沢山出ている。日本では春秋社が出版。
井口基成監修だ。奥さんの井口愛子先生は家内の師匠でもある。
しかし最近の演奏はどの社からの出版でもないのが多い。曲が進化する?
より難度の高い演奏をこなしてアピールする。感銘度もより深まる。
つまり演奏が芸術であることの証明だ。
by prohitskh (2012-01-19 00:13) 

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