SSブログ

[10月22日] だめだ書くことが無い!なんて [頭が良くなるか]

[10月22日] だめだ書くことが無い!なんて

一日何もしなかった訳ではない。恐る恐るテニスの壁打ちをトライしたほどだ。頭が一杯なのだ。
講演用のスライド作りが佳境に差し掛かったのだ。ほとんど完成が間近だ。けれども違うのだ。
ひとつの区切りは次の区切りへの始まりでもある。それが分かった。終わりなどないのだ。

何にもがき苦しんでいるかと言うと、単語の選択だ。これまで抽象語に分類されて来た単語だ。
それを定義し直すのだ。今回の最終目標は「意識」だ。この作業は済んだ。再定義ができた。
もはや具象語だ。それとともに新たな挑戦が始まった。「人格」を定義する、それも英語で、だ。

「魂」とは何か、もある。「考える」とは?「記憶する」、「こころ」ってな~に?「痛み」とは?
精神的な活動とか脳の高次機能などと言うが、皆、分からないで言っている。認知症がいい例だ。
正しくは認知障害とかRDSとすべきだった。認知科学の名を冒涜するアホが考え出した名前だ。

恐ろしいのは誤って付けた名前が定着することだ。典型的な例は物理に出てくる「力」だ。
水力や火力さらに原子力発電などと使われるとき、水の力って何だろうと思わないだろうか?
無論、思わない。理科離れの傾向はますます深刻化している。問題は意味論の遅れにある。

何度も出題する。「時間とは何か、定義せよ」がすべてを物語る。威張る教師がいたら試すことだ。
また「神と悪魔の共通点を五つ以上挙げよ」もいい問題だ。私の関係者でなければ面食らう筈だ。
認識するには言葉が必要だ。違いが分かるためには違いを表す概念が必要でその名前だ。

五感を使って感じる感覚は具体的だ。犬や猫を識別できるようになる。そして見えないものもだ。
風が吹く。空気が動く。空気は見えないが木々の枝葉の揺れなどから動きは間接的に見える。
水の中の泡や雲の動きなど、自然の観察から始まる事象の認識が科学の始まりだ。そして鏡。

「自分は?」という問いかけが鏡を見ればきっと浮かぶ。自己認識だ。そのうち諦めてしまうが。
鏡は自己の認識にとって必要か?これもいい問題だ。脳の解剖図から自己が分かるだろうか?
一体「人格」とは何なのだろうか?犬や猫には備わっていないのだろうか?などと考えるのだ。

脳の仕組みが理解できた。理解するとは何かが理解できたのだ。これは何を意味するのか?
理解できない人を軽蔑することができるだって?なるほど。威張る人の心を読めるのだよ。
怒る人もだ。これらは五感ではなくて、六感つまり精神的な働きに拠っている。悩むとは何か。
これを理解できない人に理解させようとするのだ。無謀。それこそアホの典型ではないか、ねえ?


nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:日記・雑感

nice! 0

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

トラックバック 0

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。