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[12月30日] 走る車は凶器だが運転する人間もだ!その理由とは? [今日の日記・コメント]

[12月30日] 走る車は凶器だが運転する人間もだ!その理由とは?

■車追突、線路へ自転車…電車にはねられ2人死亡 (読売新聞 - 12月30日 15:12)
http://news.mixi.jp/view_news.pl?id=1455349&media_id=20

■重体の6歳男児が死亡=6人死傷事故―警視庁 (時事通信社 - 12月30日 22:03)
http://news.mixi.jp/view_news.pl?id=1455568&media_id=4

年末年始にかけて痛ましい交通事故のニュースが増える。飲酒運転やいらいら運転が原因だ。
この時期に2度も追突された体験と専門の数理的脳科学から車とドライバーの性質を調べた。
年内に2度ほど学会で発表する機会があったが意外なことに誰も注目しない。事故は続く。

車のメーカーは日本だけでなく世界中で似た構造の車を製造し販売する。欠陥商品なのに!
誰も欠陥商品とは認識しないのが問題なのだ。なぜか。利便性の陰に隠れた欠陥を検証する。
車や運転関係者は必読だ。これを読んで事故が減ることを切に祈る。コメントも期待する。

1.なぜ車やドライバーが欠陥商品か
 先ず人間が持っている欠陥を指摘する。目が顔にあることだ。当たり前だ。前方を見る。
しかしこの当たり前が検証の対象だ。後方が見えない!そのためには首を回す必要がある。
面倒だ。安全優先なら車やオートバイのようにバックミラーを装備する。だが自転車はない。
一昔前には装備している自転車を見かけた。でも邪魔だし危ない。車に比べて弱者なのだ。

 次に車だ。重い物体が時速3,40キロで走る。歩行者にとりぶつかれば死ぬ危険がある。
この危険物が一人のドライバーの意識によって歩行者や自転車さらに他の車と共存する。
不注意はいつでも起きる。何かに注意が向くと他のことがらへの注意がおろそかになる。
注意して運転する義務。しかし注意が何であるかが分からなかったのが事故の落とし穴だ。

第1の事故は後続車の証言からドライバーに居眠り等の何らかの異変が起きていた。
第2の事故はドライバーが調べに対して、遅いのでいらいらが募って追い越したという。
どちらも殺意はないにしろ殺人に変わりはない。裁判では殺人者と呼ばれることになる。

2.どうしたら事故が防げるか
 論文では人工の意識を持つシステムを使って事故を減らす提案をした。創造可能なのだ。
しかし誰も理解できない。それならば取り敢えずは注意に対する考えを変えることだ。
注意とは意識を注ぐ、つまり標識を見落とさない、制限速度を守る、歩行者に注意など。
このとき意識が薄れたらどうしようもない。だから前以って体調が悪いなら運転しない。
飲んだら乗るな、運転中は携帯は使うな、等々の守るべき事項を記憶する義務がある。

ところが記憶は意識によって呼び戻す。いらいらしたら起きる事故など考えなくなる!
経験の豊かな長距離運転手は穏やかな気持ちで運転する。これを見習うべきなのだ。
さらに車には死角がある。バスなど大型車の運転手はいくつもあるミラーを見ている。
脇見運転とは本質的に異なる。安全運転には事故につながらないかという意識が要る。
誰もいないと思ってもなおチェックすることを肝に銘じる。事故が起きたら手遅れだ!
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