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[06月03日#1] 今、信じることの功罪が問われるべきでは? [頭が良くなるか]

[06月03日#1] 今、信じることの功罪が問われるべきでは?

決まり文句だ。あなたは神を信じますか?神でなく天国でもよい。信じるとは何か?
後になってから信じた自分が馬鹿だったと後悔するか或いは信じて死ぬのが幸せか?
この問題は幸福感が絡んでいる。悪い夢を見るよりいい夢を見る方が幸せと感じる。

最近、自己紹介をさせられた。勿論、脳の秘密を解いたなどと言うと狂人視される。
悩んでばかりいるので悩みについて考えて悩みっ放しです、と言うと頷いてくれる。
そこで更に追い討ちをかける。最近とみに魂を悪魔に奪われたファウストの様です。

するとざわめきが起きる。狂人か正常人かは自分を見詰めながら話すことで分かる。
どうしても脳の秘密を知りたい。そのためには悪魔と取引きをする。魂を売り渡す。
その約束をして知識を手に入れる。しかし魂を奪われて憐れにも植物人間になった。

だから秘密は闇に消えて悪魔はしめしめと喜ぶ。衆目に晒されながら笑わせるのだ。
狂人は他人の痛みなど気にしない。平気で殺したりする。社会性が損なわれている。
つまり社会の規約に従わないから問題なのだ。果たして有効な治療法が得られるか。

現行の法律は罪を犯したら捕まえて罰する。刑罰が怖いから罪を犯さないと考える。
普通の顔をして犯罪が起きるのを防ぐのは難しい。犠牲者が出るまで何も出来ない。
どうするか?罪を犯すと天国に行けないよ。地獄で焼かれるよと幼児期に諭し脅す。

これが大脳の深い場所に記憶され恐怖感が伴うとしっかり固定する。これが理性だ。
問題はここだ。大脳は意識がないのだ!今の精神科の医者にはそれが理解出来ない!
ハイデッガーやカントらは魂や霊など科学では絶対に扱えないものがあると信じた。

一方、クリックは驚くべき仮説と題する本で意識を科学的に研究すべきだと説いた。
それに呼応して大規模な集会が毎年世界各地で開催される。それに参加して判った。
根強い宗教心が科学の探究心を阻む。ゲーテは伝説を基にファウストを完成させた。

自分を信じて行動しなさい?これは無謀で足を踏み出す前に良く前を注意すべきだ。
論理的な思考で行うシミュレーション能力こそ多大な犠牲を払って獲得した英知だ。
悩みも思考のうちで考えるとは何をどうするのか理解出来ないから信じるしかない。

社会性を養うために信じることから出発するのは良い。知らないうちは仕方がない。
だが科学を勉強するに連れて、何事も疑って考える必要性が理解出来るようになる。
人間は騙し騙されるものと判って来るからだ。騙されないために予め対応が必要だ。

儀式で宗教が必要でも庶民を操る陰謀かも知れないと主張を疑い騙されないことだ。

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