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[11月01日] 死刑にしないわけは [今日の日記・コメント]

[11月01日] 死刑にしないわけは

耳かき店殺害 極刑回避で無期
http://news.mixi.jp/view_news.pl?id=1392845&media_id=2

今回ほどニュースの力の両面が裁判における議論と判決に及ぼしたことはなかったのではないか。
脳科学の視点から高度文明社会の事件を見直す一環として、この判決を検証してみようと思う。
観点は勿論同様の事件の再発防止だ。どうもこの観点が抜け落ちているように感じるがいかがか。

弁護士がいるのはいい。感情的な検察が暴走する可能性があるからだ。最近の検察では尚更だ。
しかし弁護士も商売となると話は変わってくる。負けてばかりいたら食えなくなる。注目されたい。
つまり裁判になると勝訴と敗訴すなわち勝ち負けがあるのだ。そこに一般からの裁判員の参加。

さらに今回はマスコミの大掛かりな報道によって裁判の行方が国民のは注目を集めることとなった。
問題は裁判員制度初の「死刑」が出るかどうかだ。検察の求刑は勿論「死刑」だ。二人を刺殺した。
普通なら何の罪もない女性二人を何度も刺して殺害した。極刑も止むを得ないだ。ここが争点だ。

アメリカなどとは違って我々は自らの安全を自分で守らない社会を作って生活をしている。平和か。
一見すると平和だ。その実、ニュースで報道されるようにいろいろな犯罪が連日起きている。
そして凶悪犯罪も起きる。島根県の女子大生殺害事件は首を切断。手掛かりを残さない犯人。

勿論必死で犯人の手掛かりを求めて働いている捜査員の苦労は分かる。しかし殺人が続く。
どうも裁判が事件の抑止効果を発揮しているようには思えない。罪を軽くするのは誰の為か。
一体全体、罪とは何か。死刑は野蛮な行為で禁止されるべきものなのか。人間が裁くのだ。

これまでの研究の結果は、人間はすべて仮面を被っていて仮面の下の素顔は動物の顔だ。
動物すなわち本能の塊り。それに対して仮面は社会集団の中で行動する状況に応じた顔だ。
そして重要なのは仮面ではなく素顔の方が本性であることだ。脳の構造は単細胞方式なのだ。

すなわち本能の側が優勢で教育によって洗脳されるようになっている。そして意識できない。
剣の達人が無意識に刀を鞘から抜いて後ろの敵を切り鞘に納める。修練を積んだ成果だ。
人の一生は限られている。どこで鍛えるべきか。鉄は熱いうちに打て。でないとどこかで破滅。

高い教育を受けた母親が子どもを愛してわがままに育てる。これは正しい愛ではないのだ。
愛の鞭が必要なのだ。それを思い知らせるのが犯罪者である。犯罪を活かす知恵が必要だ。
それが裁判員制度の趣旨でなければならない。それでこそ犠牲が活かされるのだ。いかが?


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