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[07月21日] ヴァイオリン音楽の美についての考察 [音楽と感動]

[07月21日] ヴァイオリン音楽の美についての考察

名古屋のヴァイオリン弾きなら誰でも知っているK先生の門下生の発表会を聴いた。
後半部分だけだが知っている人が数名とピアノ伴奏の先生も馴染みだ。審査員席だ。
難曲だらけだ。聴いている内に必然的に自分がコンクールの審査委員になっている!

身勝手な性分だ。ステージでの演奏は怖いが練習の成果を見て貰うのは快感なのだ。
丁度オリンピックを目前にして運動選手の活躍ぶりや全英オープンゴルフが話題だ。
早朝テニスの間にも考え、日本人の美学について日記で言及したばかりだ。美とは?

スポーツなら勝敗が第一だが芸術も勝負だ。図らずもそれを痛感する機会になった。
東京に出て研鑽した人の演奏が成長ぶりを見せる。ロビーで会った時はのんびり顔。
音楽に集中している時は別人だ。確かな成長はいい教師に就いている証拠でもある。

しかし演奏者が変り、違う曲を演奏するのを観て聴いているとどうしても比較する。
他人の演奏を批評したくなるのは素人の特権だ。デュアル脳理論に基いた美学論だ。
声楽や管楽器それにピアノと違いヴァイオリンには特有の音楽のセンスが不可欠だ。

第一に右手のボーイングと左手の運指とビブラートがまるで異なる点が挙げられる。
心つまり潜在意識の主が命令し、小脳系がニューラルネットワーク回路を駆動する。
聴くときは心の主が耳で音を集音し小脳系に比較分析させる。美しい楽音は快感だ。

棒音は耳障りで不快。心の本体の間脳系の視床下部で好き嫌いを判定し褒美を出す。
小脳のニューロンを駆動して作り出す音で聴く人の聴覚回路を揺さぶるのが音楽だ。
問題は揺さぶり方だ。単純では飽きる。不協和音で濁してからの和音は印象が深い。

作曲家は様々な発想で試行錯誤を繰り返し名曲を創り上げて来た。演奏家も同じだ。
自分なりの創意工夫でより好印象を与える音楽を作る。指導者はその才能を伸ばす。
第一に続いて、関節の動きがポイントだ。滑らかな動きが安心感を生み出す基本だ。

右手も左手も全部の関節が柔らかく動くかどうかが鍵だ。固いと音にも出てしまう。
演奏者には関節が固いか柔らかいかが分からない。指導者が見て教える必要がある。
ピアノの美しい響きもピアノにも依るが大部分は奏者が創り出すものだ。共通する。

こんなことを批評家ぶって言ってみても所詮、理解出来る人はいない。悪あがきだ。
演奏者が真剣に曲に集中して弾くヴァイオリンの音がホールに響き亘る。羨ましい。

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[06月17日] 魂を揺さぶる珠玉のヴァイオリン、樫本大進に聞き惚れる [音楽と感動]

[06月17日] 魂を揺さぶる珠玉のヴァイオリン、樫本大進に聞き惚れる

まさか、これほどまで凄いとは思わなかった。耳を疑うばかりの素晴らしい音楽だ。
美しいだけ?違う。ホールを見上げる。彼の奏でる音は記憶にある音とは大違いだ。
かなりの入りの聴衆が全員、彼の出す音を一音たりとも聞き漏らすまいと聴き入る。

静まり返って彼の音を吸い取る。ベートーベンのロマンスの2番。お馴染みの曲だ。
それが違う。デリケートで気品があり、優雅でメリハリの利いた演奏だけとも違う。
常に念頭にあるのは脳の仕組みだ。心や魂も今や俎上の鯉だ。音の魔術を分析する。

何がこんなに惹き付けるのか?ガルネリの音色もある。ホール中によく鳴って通る。
大きな音量ではないが時折見せる低音は力があり、高音は折り目正しく澄んでいる。
つい先日、なぜ上達できないかと云うエッセーを書いたばかり。それが頭を過ぎる。

心に沁み入る音楽は芸術だ。演奏する方も聴く側も共に本能に根差した行動を取る。
聞こえるのは無意識に耳に入った音を処理するからだが意味を持つと積極的に聴く。
潜在脳が心や魂の本体で感情や意識を操作する。彼の音の気配りと思い遣りが判る。

コントロールされたフレージングの中に大袈裟でない洗練されたアゴーギグがある。
例えば、藪のどこかで、ホーホケキョと鳴く鶯の最初のホーは意外性で注意を引く。
さりげなく聞こえて準備させて置いて、ホケキョで勝負する。聞き逃しが出来ない。

緩急と強弱、特に美しい旋律の出だしでの僅かな揺らぎが聴く者を優しく包み込む。
感傷的な憂いのチャイコフスキーはロシアナショナル管弦楽団のバックとの対話だ。
音楽が万国共通語であると痛いほど再認識する。プレトニョフの指揮と表現がいい。

昨年、震災復興のため行なわれたアルゲリッヒとのシューマンの五重奏と大違いだ。
ベルリンフィルのコンマスになった経緯が頷ける。高い技量と国際人の感覚を持つ。
どこにも嫌味がないばかりか、クライスラーのリズム感とセンスすら感じてしまう。

全ての注意力が彼の出す艶やかな音色のヴァイオリンに向けられ、快感に報われる。
聴き終わって思い出しても何一つ嫌いな音や動きがないのだ。また聴きたいだけだ。
そのような演奏会は滅多に体験出来るものではない。本当に楽しめた演奏会だった。

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[06月14日#1] 2台のピアノのためのコンサートを2日連続で聴く [音楽と感動]

[06月14日#1] 2台のピアノのためのコンサートを2日連続で聴く

昨日は宗次ホール、今日はしらかわホールでコンサートがあり、連続して楽しんだ。
宗次ランチタイムコンサートはフルート、ソプラノ、ピアノ独奏、2台でと多彩だ。
先週のドイツ編に続いて今週はフランス編の音楽の食卓で名曲を調理してもてなす。

それぞれに熱演だが目当ては最後の出し物、トリのミヨー作曲のスカラムッシュだ。
ステージはそれほど広くないので2台のピアノの配置が気になる。初めての2台だ。
出演者が1曲終わる毎に次の料理のメニューの解説をしてくれる。固いが初々しい。

ホール側のスタッフのアイデアだって。なんと上手、右奥に向けて並列に2台並ぶ。
出演者が斜めだ。公開レッスンみたいだ。小さくコピーした譜面を横一杯に広げる。
なるほど、譜めくりが要らない。楽譜をめくる音が無い上に人の動きが無くていい。

タッチが良く見えて交互に現れるメロデイを弾く時の二人のニュアンスが良く判る。
何度も聴いた曲で弾いたこともある。けれどもホールの響きがすごくよくいい音だ。
この配置は正解だ。メリハリが目と耳の両方からダブルで感じ取れて心地よい演奏。

アンコールは全員が総出で歌と伴奏。あっという間に1時間が過ぎて暖かい拍手だ。
ロビーへ出ると何と見知った顔ぶれが大勢で華やかな衣装の出演者と歓談している。
この余韻が消えないまま今日はしらかわホールだ。何でも比較する評論家の気分だ。

最近CDを出しましたと連絡を頂いた渡邉規久雄・寺田悦子夫妻の5年ぶりの演奏。
夫々がソロのピアニストだが夫婦で弾く2台のピアノのコンサートは味わいが違う。
方やN響の指揮者だった故渡邉暁雄のご子息。北欧の血筋で背が高い色白の好男子。

一方、悦子さんはウィーンで研鑽を積んだ。3人のお姉さんの二人が名古屋に在住。
音楽は勿論テニスやゴルフもご一緒するし、お宅でのパーティにも何度も招かれる。
今回のプログラムは、色彩感あり、リズム感あり、更に滅多に聴けない難曲ありだ。

ドビュッシー、ラフマニノフ、そしてストラヴィンスキーの「春の祭典」が目玉だ。
聴きながら昨日のミヨーの演奏と比べる。音色とタッチ、リズム感、アンサンブル。
何よりもコンサートピアノが向かい合う配置は、豪華で派手なステージを演出する。

ただ、譜めくりが二人付いて頻繁に立ち上がり、譜面をめくる行動が演奏を妨げる。
こればかりは止むを得ないのだが、分かっていても気になる。春の祭典では尚更だ。
バレエ曲だがオーケストラで演奏され、中学の頃に色彩と変則リズムに悩殺された。

何と幸運にも、二日連続で大好きな音楽の生の演奏をコンサートで聴衆と楽しんだ。

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[02月28日#1] ミッドランドスクエアのロビーコンサート [音楽と感動]

[02月28日#1] ミッドランドスクエアのロビーコンサート

火曜の夕方にアトリウムコンサートでヴァイオリンとピアノの演奏を聴いて来ました。
エレベーターが上下する騒々しい中で大勢の聴衆が人垣を作り聞き入っていました。
クライスラーから葉加瀬太郎の情熱大陸までとてもいい演奏でした。ピアノも上手い!

ヴァイオリンは音程も音色もよくピンクのドレスもきれい!見とれてしまいました。
ただ、私の好みとしてはビブラートが若干不足気味、そのため金属的な印象でした。
先日も同じ場所でヴァイオリンとヴィオラとピアノのトリオの演奏会がありました。

両方を聞いて些か突飛ですが、ラスヴェガスのカジノでのショーを思い出しました。
賭け事を楽しむために群がってくる客は様々です。徹夜でもやる派手な世界です。
しかし大半の客は大儲けなど余程の幸運に恵まれないと出来ないことを知っています。

金儲けがしたい、しかし手持ちは限りがある、ここでやめとくか、もう一寸やるか?
あるときコインだらけでも少し経つとすっからかん。あそこでやめて置くんだった。
と悔やんでも後の祭り。分かっていてもやるのが賭け事。人生は賭けなのだと嘆く。

そんな心の癒しがショーになり、ここは全米の芸人の厳しい登竜門になっている。
そこで働く人たちと知り合いになった。ピアノを弾かせて貰ったり驕られたりした。
話すうちに裏の事情が分かってくる。元々砂漠地帯に労働者用に歓楽街を作った。

荒む心を慰めるバーやサロンは西部劇そのものだ。モンローの帰らざる河が典型だ。
一般庶民は働き場所を求めてやってくる。疲れを癒すサロンコンサートに通じる。
しかし待てよ。音楽家も労働者ではないか?主催者は右にいる下品な口笛吹きだ。

いいのだ。束の間の音楽による共感こそ庶民の癒しなのだ。集中すれば気にならない。
雑踏もケーキを売る声も帽子も買い物袋の音も話し声も一切気にならないのだ。
こうしてもっと聞きたいという気持ちとここまでにするかという気持ちが競合した。

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[01月17日#1] ヴァイオリン演奏会から教師の役割を考える [音楽と感動]

[01月17日#1] ヴァイオリン演奏会から教師の役割を考える

幸運なことにパガニーニの24のカプリス全曲演奏に巡り会えた。宗次ホールがほぼ満席。
アドリアン・ユストゥス。メキシコの新鋭。師匠の黒沼ユリ子さんが見守る中で演奏開始。
英語で紹介しながら演奏するので1曲ずつ雰囲気がほぐれて行く。順不同だが新鮮に響く。

この曲は余りにも有名だ。パガニーニ以降の主な作曲家が強い影響を受けて名曲を作った。
中でもリストの超絶大練習曲やラフマニノフのパガニーニの主題による狂詩曲は魅力的だ。
パガニーニが奇術師のような風采で聴衆を魅了した風景を想像させ乍ら次第に盛り上がる。

はっと我に返る。超絶技巧なのに難しいと思わないのだ。眠りを誘うように音が心地よい。
最初は多少の偏見があった。しかしトークから人柄が分かる。音楽を楽しんで弾いている。
休憩時間に黒沼さんと話した。どうも教師の音楽に対する考え方が弟子に影響するようだ。

日本は激しい競争社会だ。音楽学校も沢山あり質も違う。有名になれば投資の元が取れる。
しかしその道のりは険しく成功するのはほんの一握りだけで音楽を楽しむどころではない。
最後に近づくにつれ熱演と分かる。5分休ませてとステージから消えても余韻が消えない。

曲ごとに拍手が大きくなり、前述した最も有名な曲で最後を締めくくると満場の大喝采だ。
だがふとこの演奏はまだ熟していないような感覚に襲われた。リストの作品の聴き過ぎだ。
昨年はリストの年で超絶技巧大練習曲を聴いて以来、様々なピアノ演奏を聴き比べている。

それを踏まえてヴァイオリン演奏を聴く。奇術師特有の超難曲の奇抜さが通用しないのだ。
なんと音楽評論家の積もりで批評しようとする自分を発見する。脳の自己認識の仕組みだ。
若い演奏家が聴衆を楽しませようと超難曲を必死で熱演する。自分はその聴衆の中の一人。

グァルネリの音色は次のドビュッシーのソナタで一層艶やかに響いた。正に印象派の作品。
聴衆の大拍手に応えて大曲の後にも関わらずサラサーテ他2曲のアンコールの大サービス。
最後の曲はメキシコの音楽を自らフィーチャーした陽気なリズムの曲だ。飾らない演奏だ。

弟子を養成するのが教師の役目だ。知らないと気が付かない。知らないことを教えられる。
そして弟子が成長して独り立ちして行く。弟子の背景は個人毎に異なりそれが個性となる。
教師が知らないことがあると教えられない。だがいい教師は対処の仕方を教えられるのだ。

悪い教師は知らないために威張る。いい教師は聴衆との対話を通して学べると教えるのだ。
芸術は繊細で微妙なコミュニケーションを通して感動を共感させる。この知識が不可欠だ。

タグ:芸術 指導 個性
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[10月26日#1] アルゲリッヒの弾くシューマンのピアノ五重奏曲から学ぶ [音楽と感動]

[10月26日#1] アルゲリッヒの弾くシューマンのピアノ五重奏曲から学ぶ

何が幸いかを予測することは不可能だと悟る出来事だらけだ。その一例を示そう。10月だ。
日曜にテニスに出かけたらにわか雨で2度もコートの水掃きをする羽目に。運動になった。
そのとき演奏会の招待券を頂戴した。そのピアノリサイタルが素晴らしかったと昨日書いた。

一方で、同じ時間に芸文ホールでは内田光子とハーゲンカルテットによる演奏会があった。
曲目はブラームスとシューマンのピアノ五重奏曲。家人はそちらへ行き感想を交換し合う。
若い内田光子がベートーヴェン弾きだったのを覚えているから、情熱的な演奏を期待した。

しかし不幸が彼女を襲う。兄を失う。それ以来彼女はより美しい音楽を追及するようになる。
モーツァルトやシューベルトに向かう。歯切れの良い躍動感ではなく足が動かない音楽だ。
それ故に美しさが際立つとも評されるが、大半のクラシックの曲はリズムが重要な要素だ。

グラミー賞を受賞して日本を代表するピアニストになった。果たしてピアノ五重奏はどうか。
知り合いのピアニストさんが二日間譜めくり役をした。アンコールになって漸くほっとした。
ピアノを持参する。ところが聴いたひとは予想とは違い地味な演奏に感じたというのだ。

たまたま土曜日に録画してあった震災復興番組にアルゲリッヒが出て来るのを鑑賞した。
シューマンのピアノ五重奏曲。ベルリンフィルのメンバーとマイスキーのチェロという編成。
樫本大進が第2ヴァイオリン。シューマンに打って付けの豪華版だ。これ以上は望めない。

到る所シューマンの情熱が奔流となって迸る。躍動感。全身を使って弾く。チェロが二人?
ヴィオラだ。すごい音だ。そして全編に亘ってピアノがリードする。一瞬早く引っ張るのだ。
シューマンはこう弾きたかったのよと言わんばかりの説得力溢れた演奏に肩当てが落下。

人差し指1本でスケールのメロディを弾く。「アダージョとアレグロ」のピアノにも出て来る。
セミスタッカートはこう弾くのかと納得したり速すぎて無理かなどと思うと又画面に釘付け。
家人が一緒に見ていて昨夜の内田光子の演奏と比較するので更にすごさが強調される。

演奏家の感性は様々だ。各人各様の過去を背負って生きている以上同じにはなり得ない。
そして聴く側もまた同じ事情だ。好みも多様だ。ただ共感が得られる方が良いかと考える。

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[10月25日#1] 素晴らしいテクニックのショパンとリストを聴く [音楽と感動]

[10月25日#1] 素晴らしいテクニックのショパンとリストを聴く

日曜のテニスで急な土砂降りに祟られたと思ったらそうではなかった。招待券を貰った。
聞いたことのないピアニストの演奏会の招待券。無駄には出来ない。めかして出かけた。
中部大学の主催で誰も知った顔はいない。きっと芸文へ行ったのだ。あちらでも演奏会。

芸文は内田光子とハーゲンカルテットによるブラームスとシューマンのピアノ五重奏曲。
こちらは伏見の電気会館のザコンサートホール。プレトークを聞いたが無益な先入観だ。
ちらしにはナポリ奏法の解説とあったがつまらない。私立大学が呼んだから宣伝なのか。

前半は全てショパンの曲。弾き始めると聞いた筈のショパンの曲が全く違って聞こえる。
中声部の副旋律が強調される。しかもややオーバー気味に。これがナポリ奏法なのか。
前半のクライマックスはスケルツォ全4曲の連続演奏だ。楽譜を覚えているから分かる。

特に2番と3番は発表会やパサディナのディズニーランドで弾いたことがある。更に昔。
仙台で公開レッスンを聞いた時にポーランドの先生が弾く流れるような音にうっとりした。
チェルニー・ステファンスカ教授だ。宮城学院が移転する前のことだ。いろいろ思い出す。

今回はそれが薄い。かといって淡白でもない。指が長く強い。内声部にこだわる演奏だ。
休憩になって改めてプログラムを読む。ジァンルーカ・ルイージ。ロッシーニ音楽院出だ。
そして期待の後半はオール・リスト、それもパガニーニによる超絶大練習曲から6曲だ。

出だしの第1番「トレモロ」からすごい。トレモロを入れながらメロディがつながっている。
第2番「オクターヴ」はピアノの魅力を余すところ無く見せ付ける難曲だが只聞き惚れる。
ころころと鈴を転がすような美しい音色が鍵盤の上を走り回る。両手を交差させながらだ。

スケールではない音楽が流れる。しかも切れ目が無い!そうかと思うと和音で走り回る!
第3番「鐘」になると不安などなし。手が2オクターブある感じだ。安心して名曲を楽しむ。
第4番「ヴィヴァーチェ」、第5番「狩り」とパガニーニのヴァイオリンの音が頭をかすめる。

第6番が「主題と変奏」と豪華この上もない超絶技巧の難曲のオンパレードに魅了された。
締めくくりは「詩的で宗教的な調べ」から第7曲「葬送行進曲」とホールの隅々まで静謐感。
アンコールにシューマンの「トロイメライ」と魂を落ち着かせる素晴らしいリサイタルだった。

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[10月22日#1] ドボルザークのピアノ五重奏を楽しむ [音楽と感動]

[10月22日#1] ドボルザークのピアノ五重奏を楽しむ

今日はアンサンブルを楽しんだ。曲はドボルザークのピアノ五重奏曲で初顔合わせだ。
友人のヴィオラ弾きが急な用事が入り代弾きの依頼をして来た。好きな曲だ。断れない。
承諾した。ところが彼は専門書を出版している元教授で几帳面。他のメンバーに言い訳。

合わせたことがないにも関わらず、太鼓判。そう云われてしまうと後にはひけない性分。
難曲だ。猛練習を重ねた。いつもながらドボルザークはヴィオラにいい旋律を弾かせる。
多少泥臭いと云われたって構わない。新世界やユーモレスクなど長年親しんで来たから。

温か味があれば憂愁もある。例によって漣のコミュニケーションを試す機会を逃せない。
そのためには弾き込まないといけない。自然に聞こえることが第一条件だ。作戦も要る。
予めメールでお伺い。満足行くようには決して弾けませんがいいでしょうか?嘘でない。

そして東山線池下のスタジオハルと言う名の会場に行く。先日お邪魔した豪華な広間だ。
天井が高くステンドグラスがきれい。響きがどうか。音合わせが始まる。気持ちがよい。
理想的な広さだ。環境は申し分ない。後は練習した成果が出るかだ。難敵が控えている。

聴衆がいない代わり録音を採ると言うのだ。アマチュアによくあることだ。楽しむためだ。
ところが何度も体験すると楽しめなくなることを知らない。自分の下手さが分かるからだ。
そのためミスをしないように弾くのだが、プロでない限り不可能だ。緊張するから尚更だ。

そうならば、と開き直る。お互いに自分の楽しみ方で楽しめばよい。文句が出てもいい。
知ったかぶりをするのもアマの特権。少しでも参考になればいいではないかと考える。
いざ始まってみると大して違和感がない。上手くはないのだが悪くはない。練習の賜物。

実はこの曲は何度かやったことがある。最初はピアノを弾いた。だから動きがよく分かる。
今はヴィオラがいい。際立ってソロが多く美味しい曲なのだ。もっともっと弾きたくなった。
その後、ハルのご夫妻の歓待を受けて初見で四重奏を楽しみ、更に2次会で飲み放題。

ヴィオラは褒めて貰えたしビールは美味しいし、これ以上はないという音楽三昧の一日。

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[10月14日#1] リストと小山実稚恵さんのピアノに驚嘆 [音楽と感動]

[10月14日#1] リストと小山実稚恵さんのピアノに驚嘆

今年はリストの年。ピアノの演奏会はリストの曲が目白押しだ。前日の録画をじっくり観た。
馴染みになった「名曲探偵」だ。脚本がしっかりした音楽的な裏付けがあるので魅かれる。
それを数理的脳科学の視点で眺めると別の面白さが味わえるのだ。天才リストが見える。

今回は有名な「ラ・カンパネラ(鐘)」だ。ピアノ弾きなら誰でも弾きたくなる曲だが超難曲だ。
リストはこの曲を3曲作曲している。現在初めの2曲が弾かれることはない。それを弾く。
元々はパガニーニが作曲したヴァイオリンの曲だ。これを聴いて感激し編曲して演奏した。

演奏が始まるや否や目が釘付け。ピアノが美しい。いや、開いた全部の指も動きも美しい。
カメラは演奏者の真上から鍵盤を見下ろす。昔なら師匠から直伝のテクニックが丸見えだ。
ピアニストは小山実稚恵さん。日本人初のチャイコフスキー及びショパンコンクール入賞。

しなやかに動き回る指はリストの叙情性を繊細に歌う。超難曲の筈だが難曲に見えない。
右手と左手が全く関係なく動きながらメロディを2オクターブの鐘の音色の中に響かせる。
指を目一杯に開いても10度届くかどうかなのに、装飾音や連打を入れトリルも弾かせる。

小山さんの話もいい。かすかに東北の響きがする。仙台生まれ。盛岡から応募して入賞。
大ニュースで一躍有名になった。当時仙台にいたので覚えている。今や審査員と演奏家。
倍音が響き合う音色は教会の塔の上から鐘の音が降って来るときの響きのようだと言う。

このところリストの作品を聴かない日はない位だ。ソナタや巡礼の年それにソネット等だ。
夫々に完成した作品だ。そしてリストが21歳の時に作曲された第1曲目が演奏される。
これは正真正銘、超絶技巧の超難曲だ。失神者が出たと言うのも無理はない。即興的だ。

これを作曲後ヨーロッパで史上初のピアノだけの演奏会を開き以後8年演奏旅行が続く。
そして第1稿から7年後第2稿を作曲する。音楽は技巧だけではないとの内面的な悩み。
彼の言葉。私はなぜここにいるのか。何をしているのか。聴衆の喝采が一体何になるか。

ここで私にはピーンと来る。リストは聴衆とのコミュニケーションにより自己認識をした!
そして演奏家から作曲家へと転身して行く。永遠に残る曲を作るのだ。派手さを除去する。
導入部が生まれたが地味だ。何とフラットが7個だ。よく聞く第3稿はシャープが5個だ。

鍵盤上のキーはどちらも同じ。平均率だから同じ響きの筈だが音楽家は違いを感じる!
番組ディレクターが見落とした点がある。原曲がヴァイオリンの曲だと紹介したのにだ。
弦楽器奏者は登場しない。弦や管楽器ならシャープの音とフラットの音は高さが異なる!

旋律を歌うと分かるが、一般的にシャープ系は長調で明るくフラット系は短調で暗く重い。
例外を除き、モーツァルトやベートーヴェンはdモルや運命で音響的に使い分けている。
それが絶対音感を持つように鍛えられたピアニストの心に協奏曲等を通して反映する。

そして20年を経て完成した第3稿。その間にリストはピアニストから作曲家に転身した。
恰もリストが乗り移った様な小山さんの素晴らしい演奏を真上から観ながら聞き惚れた。

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[10月10日#2] 若い弦楽四重奏団の成長期の矛盾に魅了される [音楽と感動]

[10月10日#2] 若い弦楽四重奏団の成長期の矛盾に魅了される

ジュピターカルテットの4年間に亘る追跡。夫々が卓越した技巧の主だ。個人の成長が主題。
カルテットが嫌いなディレクターがなぜ4人の若者がこれほどのめり込むのか興味を抱いた。
2004年に結成されすぐに有名になった。将来が期待される新人たちだ。若いだけにどうなる?

1,300日を越える記録。4年前に撮影開始。バルトーク。世界を目指し今井信子さんに見て貰う。
録音審査で少しずつ感じ方の違いが出て来る。なんと予選落ち!サクセスストーリーが挫折!
先ずヴィオラの原麻理子がジュネーブ音楽院へ飛び出す。今井信子教授に師事して勉強する。

第1ヴァイオリンの植村太郎は名フィルの客演コンマス。留学する。結局4人とも海外で留学だ。
いろいろ紆余曲折を経る。第2ヴァイオリンだった佐橘まどかはバッハの無伴奏を弾くソリスト。
すごいのはチェロの宮田大。日本人初のロストロポービッチコンクールの優勝者になったのだ。

彼の話。審査員にカルテットをやっていることを言い当てられた。独奏チェリストと相容れない!
ドボルザークのチェロ協奏曲では自由奔放に歌い上げるところが萎縮する。さすが審査員だ。
佐橘の話。なんでジュネーブなんかに来たのか。来たくなかった。孤独との闘いの日々を過す。

ヴィオラの原は大型の逸材だ。今井教授の厳しい指導で日増しに師の弾き方と音に似て来る。
植村の反省は興味深い。両親が音楽家で上手いと思い込んで来た。コンクールでも優勝した。
それがヨーロッパの音楽とは違っていたという発見が孤独と重なる。悩み抜く。そこへ怪我だ!

見ていて治るのかはらはらどきどきだ。元のように治って名古屋でコンマス。それにおまけだ。
音楽をやるのが当たり前だと思っていた。怪我でその有難味が痛切に分かった。大きな成長!
そして再会する。なんといっても圧巻はジュネーブ音楽院でタカーチ教授に受けたレッスンだ。

かのベートーヴェンの演奏で最高の評価を受けたタカーチカルテットの創始者のヴァイオリン。
植村の表現法つまり弾き方を直す。真の音楽とは何かを身をもって教える。第1パートを弾く!
聴いている植村の目に涙がこぼれる。こちらもだ。ベートーヴェンの音楽は既に美があるのだ。

上手く弾こうとするな、十分に上手い。音楽を言葉と思え。通じる言葉と思って弾く。虹のように!
音楽家といってもソリストからオーケストラそれに室内楽奏者まで多岐に渡る。将来何になるか。
若い時のコンクールではまだ分からない。若い時分の武者修行は確かに成長に必要のようだ。

皆孤独がきつかったと言う。しかし誰もがその孤独に耐えたのだ。そして国際人になっている。
各自がしっかりした技術の持ち主であったことが一流の指導者に会えた最大の理由だと思う。
全く若さは特権だ。開き直る位の根性も必要だ。楽器の練習がそれらを鍛え上げたのだよね。

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